谷川俊太郎 芝生

高校生のころ、谷川俊太郎の「芝生」という詩で”風”を感じたことがある。

それは文学少女でもなかった私に衝撃だった。

その詩との出会いはなんのきっかけだったかは定かではないが、

当時の国語の先生が貸してくれた詩集にたまたま載っていたのではと思う。

風が吹く、抽象的で申し訳ないが、

詩を読んで、確かに私は、”芝生の上に立ち””風を感じた”。

芝生という詩は有名な詩ではないが、詩集にはたまに載っている。

上述したように私は文学少女ではなかった。

たまに小説や雑誌を読む程度。

その自分がなぜ風を感じたのか未だに不思議でしょうがない。

感受性が豊かで、とかそういうことをいうつもりは毛頭ないが、

一つ言えるとすれば、

谷川俊太郎の詩の波長とその時の自分の波長がリンクしたのでは、と思っている。

現に、今読んでも、風は吹かないし、その当時国語の先生にこのことを話した際は、

キョトンとされたような覚えがある。

多分、不思議な感受性の学生にしか感じなかっただろうと思う。

その経験で、独自の感じ方を持っていると自分を特別視したわけではなく、

私が思うのは、波長が合えば誰しも、その作品小説でも詩でも絵画でも何でもいい、”風”を感じるのではということ。

その経験以後、心に残るものにたくさん出逢えど、風は感じていない。